2009年7月22日水曜日

「小泉チルドレン」と「財源」



「小泉チルドレン」という言葉がある。前回、2005年の衆院選挙で自民党から立候補し当選した議員の内、当時の小泉首相の推進する郵政民営化などの行政改革および自由主義的な規制緩和などの政策を推進しようとする、小泉シンパの議員達のことをいうらしい。郵政民営化反対を唱える議員の選挙区へ「刺客」として送り込まれて立候補し当選した者もいた。

自民党は、郵政民営化反対論者として除名した議員を復党させたため、今回、8月末に行われる選挙では、それらの復党組の議員を擁立させる場合も多く、「小泉チルドレン」の一部は他の選挙区に鞍替えせざるをえない状況にあるといわれる。

DOTは、小泉首相のいわゆる「改革路線」などというものは、改革でも何でもなく、小さな政府の実現にとって役に立たないばかりか、名ばかりの「民営化」によって、結局は、国家と政府官僚の支配を永久に温存させることを目的にした、情報宣伝(プロパガンダ)の一種と考える。小泉とその一派は、「政府を改革すれば、良い政府ができる。規制緩和でより良い社会になる」という幻想を国民に植え付けることに、一時的に成功した。しかし、彼らの「規制緩和」や「民営化」は中途半端で名ばかりのものだ。さまざまなお節介な法律は残したままで、不自由な意味のない「規制緩和」や民営化を推進してきた。他方で、「共謀罪」や「イラクへの自衛隊派遣」や「裁判員制度」など、日本をより不自由で、危険で住みにくい国にさせることばかりを国民に押しつけた。かつての国鉄民営化や電電公社などもまったく同じであって、官僚主義的で巨大で小回りのきかない独占企業を作ることにしかならなかった。小泉一派のいう「自由主義」は実は「不自由主義」に他ならない。「小泉チルドレン」だけでなく、国民の多くが騙されてしまった。

「小泉チルドレン」は小泉一派と自民党に利用されたのだが、それが政治というものである。チルドレンには理解できないだけだ。

ところで、自民党の政治家は良く「財源」のことを口にする。「民主党の政策には財源の裏付けがない」などと野党批判の常套句となっている。しかし、国家財政の主たる財源とは何かといえば税金だろう。それは、国民の富と労働の成果を強制的に(しかし形式的には合法に)強奪した財貨のことだ。政府は「財源」を食いつぶしてきた。これからもずっと「財源」を食いつぶしていく。

野党の政策の「財源」を問題にする暇があったら、政府・与党は、財源が困窮する状況を作り出した責任についてよく考えよ。赤字国債のことを考えよ。「増税」を語る暇があったら、減税と税制の簡素化、撤廃についてもっと大いに語るべし。それが、政府・与党にとっては、贖罪の唯一の方法なのだ。

結論: 「財源」だか「増税」だかを与党が議論する資格はない。盗人猛々しいことをいうな。

我々は「財源」ではない。我々は常に、国家による犯罪的とも呼べる(形式的には合法な)諸政策の被害者なのだ。


2009年7月18日土曜日

解散だけでは不十分だ



麻生首相が、やっと解散するそうだ。それも、与党の意見を受け容れて、少し後ろにずらした7/21に解散すると予告した。いろいろな政治的思惑があるのだろうが、解散の予告というのは、実際、7/18現在、自民党の国会議員達の行いは混乱を極めている。

いわゆる自民党内の「反麻生派」が首相交代を訴えているが、安倍・福田という無責任・敵前逃亡首相の後に、自民党員の多数の支持を得て首相になったのが麻生だ。任期切れ間際に交代させて、何をしようというのか。選挙後の政治的な立場を強化しようとしているのだろうが、自らが選んだ首相をたかだか10ヶ月しか働かせずに引きずり下ろそうとするのは、見苦しい。もし、本気で麻生政権打倒を目指すなら、なぜ野党が提出した内閣不信任案に賛成しなかったのか。矛盾している。

解散するのは当然だ。いや、もっと前に行うべきだった。DOTは解散だけでは不十分だと思うのだ。

無駄を生む行政機構を温存し、バラマキ政策によって国家財政を破綻させ、官僚支配を保護し、常に増税を画策する、そのような自公政権を次の衆院選挙では絶対に下野させなければならない。国民の富と労働を収奪する政財官の癒着した構造を粉砕しなければならない。

もちろん、民主党政権が誕生しても、バラマキ的体質は変わらない。米国での民主党がそうであるように、リベラル政権のバラマキ体質はよく知られている。大きな国家を目指そうとする政策には、断固反対する必要があろう。しかし、だからといって現在の自公政権を温存しておく理由は何もないのである。

政権交代が可能になることは、たとえ民主党政権の政策が悪くても、政府の政策の選択肢を多様化するという効果がある。つまり、いつの日か議会制民主主義という茶番劇を放棄し、より自由な政治体制に移行するための、小さな一歩なのである。