2009年6月4日木曜日

たいしたことのない経済学者によるマッチポンプ

アダム・スミスやカール・マルクスのような偉大な例外を除けば、特に現在新聞紙上やマスコミに登場する自称経済学者達は単にマッチ・ポンプを演じているだけのように見受けられる。

例えば、竹中平蔵とその仲間達は、いかにも似非自由主義者的なスローガンをいろいろと掲げている。自由化を推進して市場経済にできる限り介入しない、一見リバタリアン的な政策を主張する。

他方で、似非自由主義から転向した(らしい)中谷巌は、竹中らの路線を「新自由主義」と呼んで、これを徹底的に批判している

どちらも、同じ穴のムジナだ。竹中は「三権分立を取り戻せ」などと、もっともらしい政府批判を展開している。たしかに、個別の議論は合理的に聞こえるのだが、ラディカルな問いかけに根ざしていない。三権分立がもし回復したなら、それで良いのだろうか。何も良くないのだ。それは、民主主義の完成ではあるかもしれないが、民主主義の決定的な欠陥は放置されたままになる。そもそも、代議制自体がマヤカシ、インチキなのだから、それを磨いて良く見せかけたところで、良くなるはずがない。議員は国民の代理でも代表でもない。人気投票で高得点をあげた人間というにすぎないのだ。

もし議員が国民の代理人だったなら、国民一人一人、それぞれの言うとおりに国会で発言し活動してもらわなければ困るではないか。現実は、彼らは勝手に自分達の好きなことをやっているにすぎない。彼らは誰の代理でも代表でもなく、勝手に税金を使って高速道路を作ったり、「国立メディア芸術総合センター」などを作ったりしている。代議制の民主主義というのは、壮大なペテンだ。多数者による専制にすぎない。個人の自発的な合意に基づかない、民主主義を偽装する制度なのだ。

また、中谷巌は「そこで私は『還付金付き消費税』方式を提案しているのです。消費税を一律20%にする代わりに、年収1000万円以下の世帯には年間40万円を還付する。 これだと、年間消費が200万円の世帯は、差し引き消費税がゼロということになります。200万円未満の世帯は還付金が消費税額を上回るので、貧困層の所 得をかさ上げすることができます」というコメントを社民党の記事で語っている。

まず、税務署員や国税庁職員の人件費及び徴税に必要なコストを考えてみよう。次に、所得税も消費税もゼロだった場合を想定してみよう。税金がゼロなら税務署も国税庁もすべて不要になる。コストもゼロだ。そして、税金がゼロだったら、あらゆる個人や企業にとってポジティブな経済効果がある。

また、財産権を強権で侵害して徴税する、税金という明かに非合理な制度を廃止することは、個人の自由を発展させ、経済的なインセンティブになりうる。なぜ、税金や政府をはなから前提にして議論をするのか。

上の中谷巌の例でいえば、なぜ、年間消費が200万円以上の世帯は事実上の消費税を支払わなければならないのか。なぜ年収が1,000万円を超える世帯には消費税が減免されないのか。合理的な理由は何もない。恣意的、裁量的な勝手な税率設定でしかない。それで、合法的に金銭を個人や法人から略奪することを合法としている現状は、恐ろしいほどの国家統制といえる。なぜ余計なコストを、そんなものに支払わなければならないのか。

「税金による富の再配分」は一見良い考えに見えるが、それをいう前に、税金自体が不合理だという根本問題を議論する必要があるだろう。政府や徴税制度の存在を常に安全圏に置いて、それを前提とする議論は不合理だ。

人間は政府の奴隷ではない。政府の貯金箱でもない。

いわゆる自称経済学者達の議論は、「新自由主義者」であれ「リベラル派」であれ何であれ、このように不合理な先入観に染まっているのだ。つまり政府の存在をはなから前提としている。だから、マッチ・ポンプになるのだ。永遠にお互いに責任をなすりつけ合っているだけなのだが、それによって、政府の権力と体制は安泰となる。

DOTは、このようなたいしたことのない経済学者達が行っているような議論には意味を感じない。
巷の経済学者はほとんど信用できない。

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