2009年6月3日水曜日

Government Motors

GMがChapter 11による破産手続きに入ったが、連邦政府が株式の60%を取得し、新たに300億ドルの支援をすることが発表された。つまり、計画的な破産であり国有化だ。

これによって、GMは精算されることはなくなり、再生に向けて活動を始めることになる。政府がそれを支援するわけである。政府としては、最悪の破局的状況である連鎖倒産と失業の増大を回避することができるという算段なのであろう。

しかし、この手法でこれまでに、Big 3の一つだったChryslerやAmerican International Group、Fannie Mae、Freddie Macなどの金融機関を国有化して処理してきたわけだから、もし社会主義という言葉が極端であれば、コーポラティズム(corporatism)と呼ぶことのできる状況になっている。

そして、GMの再生が困難になれば、その損失は新たな政府投資を必要とすることになる。

DOTの視点からみれば、これは政府による非常に偏った形での一部特定企業に対する金融支援であることは間違いはない。しかし、政府がこのようなパターナリズムを正当化することは、現実にはよくあることであり、典型的な政府の行動といえるだろう。その税金の使い方を批判することは間違ってはいないが、そこにはより大きな問題が隠されているとDOTは考える。

それは、金融危機や戦争やテロや、ありとあらゆる「危機」に乗じて、政府は政府権力の肥大化、国民の自由の制限、抑圧、負債の拡大と増税の正当化を行ってきたということだ。

そして、そのために政府は危機を自ら作り出してきたともいえるだろう。その典型が大恐慌とニュー・ディールであった。大恐慌以後の政府権力の膨張については、Robert HiggsのCrisis and Leviathanに詳しい。

騙されてはいけない。政府は危機の際に頼ることのできる救世主などではまったくない

政府は、危機の原因を作り、危機を巧みに利用し、情報を操作して、既得権の維持と権力の拡大を画策する。政府は、徴税による国民の富の収奪を正当化し、それを永続化しようとする企みを危機に乗じて成功裏に展開する。それが政府というものの遺伝子に書き込まれている。

「小さい政府」は似非自由主義者の幻想にすぎない。いや、似非自由主義者の偽善的スローガンにすぎない。DOTは「小さい政府」も「大きな政府」も求めない。

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