2009年6月14日日曜日

DOTの指向する芸術(その2)



さて、次のYouTubeのリンクに、ある音楽の学生(?)が演奏するScriabinのピアノソナタ第一番の「葬送」がある。

(G. Imperato) Scriabin Sonata No.1 Op.6 4mov. Funebre

ピアノの専門家には、それなりに専門的なコメントがあることだろう。しかし、その技術的なレベルとは無関係に、この録音には、Scriabinの音楽のエッセンスが感じられる。それは、潜在意識の世界を垣間見させるような、深淵なのだ。表面上の音響の美しさなどは、どうでもよくなる。

魔力的な深さ、呪術的な恐怖、永遠に解けない謎、暗黒の音楽だ。Scriabinはその暗黒の中を、光を求めて、光があるという確信をもって、さまよう。

Scriabinのピアノ曲の独創性は、当時としては斬新な作曲技法を駆使しながら、この暗黒の世界を実現したことにある。他に追随する者がいない。

そして、そのエッセンスを理解した演奏者であれば、学生でも演奏することができる。しかし残念ながら、優秀な演奏家であっても、その点の理解ができていないと、ただ美しく技巧的なピアノ曲の演奏というだけに終わってしまうのだ。

DOTは、異端の内に真の正統を発見しようとする。破壊の内に真の創造の可能性を見いだそうとする。そして、単に評論家にもてはやされる流行品の下手物の類を軽蔑し、それらと真の異才の作品とを峻別する。DOTは似非芸術趣味と浅はかなディレッタンティズムとを排除する。

DOTは天上と地獄の芸術をともに希求する。

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