2009年6月5日金曜日

国立メディア芸術総合センター(仮称)論争

政府と民主党の間で、国立メディア芸術総合センター(仮称)設置の是非をめぐる議論が活発になっている。

「メディア芸術」という言葉がだいたい曖昧だ。どういう媒体の芸術なのかはっきりしない。上の政府の報告書では、「マンガ、アニメ等メディア芸術」といっているので、「マンガ、アニメ等」のことなのだろう。それなら、漫画、アニメーションと表記すべきだ。

ところで、漫画やアニメーションが芸術であるという認識は、一般国民に共有されているのだろうか。漫画やアニメーションはむしろ娯楽であろう。もちろん、漫画やアニメーションという形式で芸術的表現が不可能とは思わないが、それが漫画やアニメーションである以上、「我が国のメディア芸術の海外への発信」といっている対象は、やはり娯楽作品が主になることはあきらかだろう。

そうでなければ、非常に希少な漫画・アニメーションという形式による現代芸術作品だけのために施設を作ることになってしまう。

つまり、「芸術」は、はったりに過ぎない。施設の名称を立派に見せかけるために利用されているにすぎないのだ。

もしそうなら、この国立メディア芸術総合センターとやらを設置したら、日本の漫画・アニメーションの活性化、輸出の増大によって、どれだけの経済効果があるのかを、提示すべきだろう。そして、それによって国民の所得はどれだけ増加するのか。その額よりも設置する経費が少ないのであれば、設置すれば良い。しかし、そんな計算ができるなら税金で作ろうなどという考えは持たないはずだ。採算が合わないから、税金を使って設置するわけだ。官僚にとっては管理すべきポジションと予算項目が増えるという利益にはなる。採算なんか、どうでもよいのだ。

しかし、国債等負債残高が1,000兆円を超えようとしている今、そんなものに大金を投じようなどという政府の愚かさは驚嘆すべきものがある。ぜひ、このセンターが建設されたら、センター設立に賛同した御用「芸術家」の先生方の立派な作品に接して、芸術的感動を味わいたいものだ。

芸術は「官製はがき」ではない。というのがDOTのモットーである。
芸術は私的で主観的なものである。主観と主観との交換である。
岡本太郎氏曰く、「芸術は爆発だ!」
それ以上でも以下でもない。

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