2009年6月25日木曜日

DOTは都市景観をどのように考えるか



東京の歌舞伎座の改築に関して、議論がある。「事前調整段階で石原知事から『銭湯みたいで好きじゃない』『オペラ座のようにしたほうがいい』などと注文がついた」という声もあったようで、政治的な介入があったのかなかったのか。どちらにせよ、低層部は、現在の歌舞伎座のファサードを模しつつも、装飾は抑えられて垢抜けしてしまっているし、その背後には幾何学的で無機的な高層のカーテンウォールがそびえる。

松竹の持ち物なのだから、基本的に建替えること自体は松竹の自由である。だからといって外野が議論をして悪い理由もないのだから、松竹の建替え案に賛成・反対があるのは自然なことだ。

DOTは、この種の景観保存論争あるいは歴史的建築物保存論争は、いつも重要な点を見落としていると考える。論争がナンセンスだとは考えないが、論争するならば、論争すべきポイントを見落としてはならない。では、そのポイントとは何か。

それは、建築とその固有の空間の存在を意識できるか否か、という評価軸の重要性である。

歴史的建築の保存が、しばしば安易な改築よりも好まれるのは、ただ古い建築物を残すこと自体に価値があるためではなく、歴史的建造物が、その利用者に対して、その建築物の存在とその固有の空間を意識させ、建築物およびその空間との三次元的で感覚的な交感を可能とさせているからではないか。それは、建築における芸術的な体験なのである。

もし、改築・新築される建築物が、従来の建築物より以上に豊かな芸術的価値を利用者に提供することができるのであれば、古い建築物の保存にこだわる必要はない(別に、文化財としての価値を考慮する必要はあるが)。

現代の建築家が、ただ古風な様式を真似ただけの建物よりも優れた建築物を創造することができるのであれば、建て替えればよいではないか。そう考える。現代の建築家にチャンスを与えるべきである。

では、DOTは東京・歌舞伎座の建替えを支持するのか? それは、Noだ。

上記リンクの記事を読み、改築案の完成予想図を見るかぎり、ファサードだけはオリジナルの外形的な特徴を残しながら、しかし細部の装飾は削除したために、オリジナルの様式性は完全に破壊されている。結局は単なる普通の高層ビルを建てる、ということでしかないように思えるからである。これでは、オリジナルの建築に寄生してそれを食い尽くしてしまう病毒菌と同じではないか。どこに建築家の創造性とオリジナリティがあるのか。

DOTは、常に精神的に豊かな体験を与える建築空間を指向する。

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